川通村
かわどおりむら
[現在地名]朝日町玉ノ井 川通
最上川左岸にあり、南西は能中村、東は栗木沢村。正保郷帳に田方九六石余・畑方一五石余とある。慶安二年(一六四九)以降松山藩領。里分川行組に属し、天明七年(一七八七)の松山藩左沢領村々大概書(松山町教育委員会蔵)では高一一四石余、田四町八反・畑一町六反余、用水は大沼沢・大暮山沢・中丸山沢の水を引くが、ときに水損の場所であった。家数二五・人数一二〇、馬三・牛一。農間に男は薪を取り、女は稼なく青苧を作る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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