日本歴史地名大系 「左兵衛新田」の解説 左兵衛新田さひようえしんでん 岐阜県:岐阜市旧厚見郡地区左兵衛新田[現在地名]岐阜市長森本町(ながもりほんちよう)一丁目・野一色(のいつしき)八丁目・琴塚(ことづか)一丁目・同三丁目野一色村の東に位置し、南は水海道(みずかいどう)村。関方面に向かう郡上(ぐじよう)街道が通り、東進してきた同街道は当地から北に向かう。明治大学刑事博物館本元禄郷帳に、野一色村之内新田町とみえる。天保郷帳では高一二四石余。元禄一二年(一六九九)からの三宅佐兵衛による野一色村地内の新田開発により成立。領主の変遷は岩戸(いわど)村と同じであったが、安永四年(一七七五)幕府領で大垣藩預所となり幕末に至る。諸書記(小林文書)には、元禄一六年に「野一色村新田畑、初て加納御役所え野方拾五町余ニ御年貢付、此高四拾壱石七升壱合余也、免之儀ハ二ツ二分ニ定る、二分ハ岩井屋ニ可納由相究る」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by