日本歴史地名大系 「左右内村」の解説 左右内村そうちむら 徳島県:名西郡神山町左右内村[現在地名]神山町下分(しもぶん)上山(かみやま)村下分の北、焼山寺(しようさんじ)山(九三八メートル)の東麓に集落が散在する。東は阿川(あがわ)村、北は麻植(おえ)郡東山(ひがしやま)村(現美郷村)。中世は大粟(おおあわ)山(大粟郷)のうち。焼山寺山は古くから信仰の対象とされ、東中腹に高野山真言宗の焼山寺がある。建武三年(一三三六)三月四日の代官性宗寄進状写(焼山寺文書)によると、「佐内名」の「屋敷 粟飯原□」と同名内「風呂孫入道前木村殿」の各一反が焼山寺の免田として寄進されており、佐内名は当地にあたる。暦応四年(一三四一)九月一三日の沙弥性宗寄進状写(同文書)によれば、大粟山佐内名内の「下 雨木三井」が焼山寺領として寄進されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by