那智山の中腹、標高五〇〇メートルの高台に鎮座。熊野三山の一社で、俗に熊野十二所権現(十三所権現とも)・那智山権現ともいう。表参道の急な長い石段を登ると、右手は
〈大和・紀伊寺院神社大事典〉
孝昭天皇の時、裸形上人が十二所権現を祀ったとか(熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記)、仁徳天皇の時に鎮座した(熊野略記)とか伝えられるが不明。しかし那智山は新宮・本宮の二社と異なり、大滝を神聖視する原始信仰に始まるといわれ、社殿が創建されたのは後のこととされる。一説には大滝は那智の奥院といわれる
大同元年(八〇六)の牒(新抄格勅符抄)によると天平神護二年(七六六)速玉神(新宮主神)とともに「熊野牟須美神」がみえ、それぞれ神封四戸が充てられている。しかしその後しばらく夫須美神(牟須美神)の名は諸史料には現れず、「三代実録」貞観元年(八五九)正月二七日条の「熊野早玉神」「熊野坐神」が従五位上に昇階した記事をはじめ、同年五月二八日条・同五年三月二日条の両神の昇階記事にも熊野夫須美神の名はみえない。また「延喜式」神名帳の
当社が本宮・新宮と併せて熊野三山の一社として現れるのは、永保三年(一〇八三)が早いようで(同年九月四日「熊野本宮別当三綱大衆等解」熊野御幸略記)、少なくともこのとき以前に三山共通の三所権現を祀る神社として成立したと推定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡那智勝浦町那智山に鎮座。熊野夫須美(ふすみ)大神ほかを祀(まつ)る。創建年代不詳。社伝では仁徳(にんとく)天皇5年の創建というが、本来、高さ133メートルの那智の滝を神とする自然崇拝より発した社とみられる。奈良時代の祭祀(さいし)遺物を出土する。915年(延喜15)三善清行(みよしきよゆき)の子浄蔵(じょうぞう)がこの地を道場として開き、のち花山(かざん)法皇も入り修行、11世紀末より熊野本宮大社・熊野速玉(はやたま)大社とともに熊野三山とよばれる。熊野信仰の隆盛となるとともに、その本地仏は千手観音(せんじゅかんのん)とされ、飛滝権現(ひろうごんげん)とよばれた。神領も安堵(あんど)されて栄え、戦国時代には織田氏の焼打ちにあったが、豊臣(とよとみ)氏、徳川氏に保護されてきた。明治以後、一時、熊野夫須美神社と称したが、1921年(大正10)官幣中社とされるとともに熊野那智神社(のち大社)と改称した。例祭7月14日。当日の田楽舞(でんがくまい)、田植舞、扇神輿(みこし)、御滝本行事に続いての火祭は勇壮で、那智の火祭、扇祭として知られている。ほかにも1月1日より7日までの牛王(ごおう)神事など熊野信仰の名残(なごり)を示す神事がある。境内の宝物館には国指定重要文化財の神剣や7世紀の古印、那智経塚の出土品を蔵する。
[鎌田純一]
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…和歌山県熊野地方にある本宮,新宮,那智の3ヵ所の神社の総称。本宮(熊野坐(くまのにます)神社)は現在熊野本宮大社と称し,東牟婁(ひがしむろ)郡本宮町に,新宮(熊野早玉神社)は現在熊野速玉大社と称し,新宮市に,那智は現在熊野那智大社と称し,東牟婁郡那智勝浦町に鎮座する。 熊野は古くから霊魂観と縁の深い土地で,早くから山岳修行者の活躍が見られた。…
…和歌山県南東部,東牟婁(ひがしむろ)郡那智勝浦町にある山塊。熊野三山の一つである熊野那智大社(那智山権現)があり,那智山はこの大社の名称でもある。大雲取山(966m)を最高に,光ヶ峰(686m),妙法山(750m),烏帽子(えぼし)山(909m)などを含む那智川上流一帯の山塊で,表面はかなり浸食が進んで壮年期的な山地となり,年間降水量は3500mmを超える多雨地帯である。…
※「熊野那智大社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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