朝日日本歴史人物事典 「巨勢人」の解説
巨勢人
7世紀の天智朝の高官。推古朝の小徳(冠位十二階第2位)大海の子。名は比等,比登などとも書く。天智10(671)年,蘇我果安,紀大人と共に御史大夫(のちの大納言)に任じられた。時に大錦下(大宝令制の従四位相当)。同年11月,死期の迫った天智天皇は,左右大臣,御史大夫の5人に,大友皇子を奉ずべきことを,内裏西殿の仏像の前で誓わせている。やがて壬申の乱が勃発し,巨勢人らは近江軍の将軍として参戦した。不破(岐阜県関町)に陣する大海人皇子(のちの天武天皇)軍を襲おうとしたが,内訌が生じて山部王を殺し,果安もまた自殺してしまい敗戦のやむなきにいたった。乱後の処分で一族と共に流刑に処せられた。<参考文献>直木孝次郎『壬申の乱』
(狩野久)
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