コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

巨勢人 こせの ひと

2件 の用語解説(巨勢人の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

巨勢人 こせの-ひと

?-? 飛鳥(あすか)時代の官吏。
巨勢大海(おおあま)の子。天智(てんじ)天皇10年(671)御史大夫(ぎょしたいふ)となる。同年左大臣蘇我赤兄(そがの-あかえ),右大臣中臣金(なかとみの-かね)らとともに重病の天皇の前で大友皇子(弘文天皇)をまもることをちかう。翌年の壬申(じんしん)の乱で大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)方に敗れ,流罪となった。名は比等,比登ともかく。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

巨勢人

生年:生没年不詳
7世紀の天智朝の高官。推古朝の小徳(冠位十二階第2位)大海の子。名は比等,比登などとも書く。天智10(671)年,蘇我果安,紀大人と共に御史大夫(のちの大納言)に任じられた。時に大錦下(大宝令制の従四位相当)。同年11月,死期の迫った天智天皇は,左右大臣,御史大夫の5人に,大友皇子を奉ずべきことを,内裏西殿の仏像の前で誓わせている。やがて壬申の乱が勃発し,巨勢人らは近江軍の将軍として参戦した。不破(岐阜県関町)に陣する大海人皇子(のちの天武天皇)軍を襲おうとしたが,内訌が生じて山部王を殺し,果安もまた自殺してしまい敗戦のやむなきにいたった。乱後の処分で一族と共に流刑に処せられた。<参考文献>直木孝次郎『壬申の乱』

(狩野久)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

巨勢人の関連キーワード冠位十二階朝方朝の露冠位今朝の秋今朝の春高官朝の茶事朝の間大伴長徳

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone