巨智部忠承(読み)こちべただつね

最新 地学事典 「巨智部忠承」の解説

こちべただつね
巨智部忠承

1854.2.13~1927.3.29 長崎に生まれ,1880年東京大学卒。地質調査所に入り,1/40万予察調査,1/20万「宮津」「生野」「豊岡」「赤穂」など図幅調査,また別子・生野などの鉱床調査に活躍。『概測常北地質編』(1882)は古生物学的研究の先駆をなす。1893年地質調査所長となり,多目的な業務の刷新を図るとともに新規に油田調査事業に着手(1901),本格的な油田第三系研究の道を開く。1905年退官。晩年は韓国農商工部技監(~1909),日本石油顧問(1910~23)として応用地質学の面で貢献した。参考文献今井功(1966) 黎明期の日本地質学,ラテイス

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関連語 学歴

20世紀日本人名事典 「巨智部忠承」の解説

巨智部 忠承
コチベ タダツネ

明治・大正期の地質学者



生年
嘉永7年2月13日(1854年)

没年
昭和2(1927)年3月29日

出生地
肥前国長崎(長崎県)

学歴〔年〕
東京大学卒

経歴
明治15年地質調査所の創設と共に技師となり、26年所長。応用地質学の草分けの一人で地質図作製、鉱床調査や油田開発などを手掛ける。38年統監府農商工部技監となり平壌鉱業所監督の任に就く。のち宝田石油顧問を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「巨智部忠承」の解説

巨智部忠承 こちべ-ただつね

1854-1927 明治-大正時代の地質学者。
嘉永(かえい)7年2月13日生まれ。明治15年地質調査所の創設とともに技師となり,26年所長。応用地質学の草分けのひとりで,地質図の作製,鉱床調査や油田開発などを手がける。38年統監府農商工部技監。昭和2年3月29日死去。74歳。長崎出身。東京大学卒。

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