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己卯の士禍(読み)きぼうのしか(その他表記)Ǔlmyo sahwa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「己卯の士禍」の意味・わかりやすい解説

己卯の士禍
きぼうのしか
Ǔlmyo sahwa

朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) の中宗 14 (1519,己卯) 年に儒者趙光祖一派が洪景舟,南袞らの反対派の誣告によって処刑された事件。中宗は即位後,燕山君時代の悪政を改革,儒教政治を確立するため,趙光祖らの新進士を登用した。趙光祖は金宗直の流れをくむ朱子学者で,彼は迷信打破,郷約の全国的施行,科挙の代りに賢良科を実施して,新人材を登用するなどの革新的な政治を行なった。この結果,新進気鋭の趙光祖一派と南袞らの詞章派との対立が生じた。そして趙光祖一派が主張した靖国功臣 76名の功臣爵号と田地奴婢の剥奪事件を機に,功臣らは謀略を用いて反撃し,趙光祖以下 75名を死刑または追放した。

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