趙光祖(読み)ちょうこうそ(英語表記)Cho Kwang-jo

改訂新版 世界大百科事典 「趙光祖」の意味・わかりやすい解説

趙光祖 (ちょうこうそ)
Cho Kwang-jo
生没年:1482-1519

朝鮮,李朝の文臣,儒者。字は孝直。号は静庵。漢陽の人。吉再(きつさい)の学統を継ぐ金宏弼(きんこうひつ)の門人で朱子学を修め,士林の領袖となる。王道政治の実現を説いて中宗の信任を得,賢良科の実施,昭格署(道教寺院)の廃止などを行ったが,自派の士類を多く登用し,過激な言動があったため,南袞(なんこん)ら勲旧勢力の誣告(ぶこく)を受け,一党はことごとく断罪,彼も綾州に流され賜死した(己卯士禍)。著書に《静庵集》がある。諡号(しごう)は文正
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世界大百科事典(旧版)内の趙光祖の言及

【士禍】より

…(3)1519年(中宗14,乙卯)の〈乙卯士禍〉。1506年,燕山君が追放され,中宗が即位したが,中宗は趙光祖ら士林派を重用した。趙光祖らは土地兼併に反対して限田制を主張するなど,大土地所有者であった勲旧派への批判,闘争を推進したため,勲旧派の反感を買った。…

※「趙光祖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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