市谷田町三丁目(読み)いちがやたまちさんちようめ

日本歴史地名大系 「市谷田町三丁目」の解説

市谷田町三丁目
いちがやたまちさんちようめ

[現在地名]新宿区市谷田町三丁目

市谷いちがや田町下たまちしも二丁目の北東に続き、外堀端の通り(現外堀通)に面する片側町。北東は市谷船河原いちがやふなかわら町、北西は旗本内藤家・安倍家・大久保家・小林家などの武家屋敷。町の起立は一丁目に同じで、町内は京間で間口が一〇二間余、裏行は南西側が一一間余、北東側が九間余。文政一〇年(一八二七)の家数は六八、内訳は家持五・地借七・店借五六。公役は小間数一〇二間余で勤め、年に人足三〇七人半分の代銀六一五匁を納めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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