布里村
ふりむら
[現在地名]鳳来町布里
集落は、寒狭川と巴川の合流点の南、寒狭川右岸の段丘上にある。栃沢川が北流して巴川に注ぐ所にある西向の遺跡は、昭和四〇年(一九六五)の発掘で縄文晩期の遺跡と判明。十二所神社蔵慶長一〇年(一六〇五)の棟札には「富里郷」とある。天正一八年(一五九〇)吉田藩領、慶長五年徳川氏領、同八年幕府領、慶安元年(一六四八)新城菅沼氏領。
寒狭川右岸にある比高四〇メートルの残丘が布里城跡(栗峯城跡)で、田峯城(現北設楽郡設楽町)城主菅沼定継の弟弥三右衛門定直の居城。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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