「放下」の字音としては、「ホウゲ」「ホウカ」の両者が考えられるが、「ホウゲ」に関しては、世俗との縁を切って無我の境に入る意味を示す禅語としての用法が中心で、一方「ホウカ」に関しては、ほうり捨てるという一般的な意味を表わす場合に用いられることが多かったと思われる。もっとも、室町末の「日葡辞書」には、人を投げ倒して、自分の体から突き放すという意味で、「Fitouo(ヒトヲ) fǒguesuru(ホウゲスル)」という例もみえ、「ホウゲ」と「ホウカ」の字音と意味との結び付きの揺れもうかがわれる。
大道芸の一種。室町期から近世にかけて見られた雑芸。放下は禅家から出た用語で,ものごとを放り投げて無我の境に入ることを〈放下す〉といった。室町期には僧形をした放下(家)僧や,烏帽子(えぼし)姿で恋歌を書いた短冊を笹竹に吊り下げ背に負った放下師などが活躍し,弄丸(ろうがん),品玉(しなだま),輪鼓(りゆうご)など,品物を空中に投げ上げて曲取りする散楽(さんがく)系の曲芸や,コキリコなどでリズムをとって物語り歌をうたい歩き,子女の人気を得た。近世にいたって俗人の手に移ってからは単に放下と呼ぶようになった。近世には従来の曲芸に加えて枕返し,籠抜け,おごけの曲,皿回しなどを演じる一方,小屋掛けをして大がかりな曲芸や手品を見せた。大道芸として残ったものは〈辻放下〉と呼ばれた。能の《放下僧》では敵(かたき)をねらう兄弟が放下と放下僧に扮し,曲舞(くせまい),羯鼓(かつこ),小歌などの芸尽しを見せる。江戸初期には当時流行のかぶきや人形芝居と合流,その間(あい)にも演じた。江戸歌舞伎の座元となった都伝内(みやこでんない)は放下師の出である。現在,放下の芸は太神楽(だいかぐら)の一種として寄席芸の中に残るほか,民俗芸能の風流踊(ふりゆうおどり)の中に放下歌が残っている。
執筆者:山路 興造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大道芸の一種の手品や曲芸のたぐい、あるいはそれを演ずる者のこと。禅家においてすべてを放擲(ほうてき)して無我の境に入ることを「放下す」というところから、品玉(しなだま)や輪鼓(りゅうご)をほうり投げて曲取りをする曲芸をもっぱらとする僧形の下級芸能者をさしていうようになり、放下師、放下僧ともいった。奈良時代に中国から伝来した散楽雑伎(さんがくざつぎ)から田楽(でんがく)法師を経て、さらに放下僧の手に渡ったという芸統で、室町時代ごろに放下の芸として定着した。品玉、輪鼓、手鞠(てまり)、筑子(こきりこ)などを行って大道に立ち、あわせて手妻(てづま)(手品)や人形回しも演じた。1669年(寛文9)京都において豊後屋団右衛門(ぶんごやだんえもん)なる者が、「放下物真似(ものまね)」の名代を許されて歌舞伎(かぶき)や人形芝居などに伍(ご)した。小屋掛けを許された放下は、鞠の曲、枕(まくら)の曲、籠抜(かごぬ)けなどを興行した。一方大道芸となった者は「辻(つじ)放下」ともよばれ、非人階級に扱われて車善七の差配を受けた。明治以後名称は絶えてしまったが、その芸は寄席(よせ)芸に入って残っている。伊勢太神楽(いせだいかぐら)にも、綾(あや)とりの曲、水の曲、手鞠の曲、傘の曲などが「放下芸」として残っている。
[織田紘二]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
「ほうげ」とも。もとは禅宗で一切の執着を投げすてること,またその僧。室町~江戸初期に流行した見世物的大道芸。中国渡来の散楽(さんがく)の技も継承する。演者の多くは禅僧きどりで放下僧と称し,ササラやコキリコを鳴らして歌舞・手品・曲芸を演じた。僧形で烏帽子(えぼし)を被り笹を背負うなどの異形の姿をし,正統仏教は彼らを偽装仏教者として罵倒した。江戸初期には,俗人が放下師として活動し歌舞伎とも交流したが,中期以降は衰退し門付芸人である辻放下(つじほうか)として続いた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…このとき火を吐く術,刀をのむ術,ウリの種をまいて木に生長させる術などが日本に伝えられたのであろう。散楽は平安時代に猿楽となり,さらに分離して外術(げじゆつ),幻戯(めくらまし),放下(ほうか)などの名で呼ばれた。《今昔物語集》にはウリ売りが外術でウリを盗みくわれる話があり,《宇治拾遺物語》には外術師がわら沓(ぐつ)をコイに変えたという話が収められている。…
…〈曲〉には変化のあるおもしろ味とか,わざの変化といった意味があり,手や足を用いて主にその敏しょうな動きを見せる芸を称したが,のちには軽業と同義の言葉になった。奈良時代に散楽の一部として大陸から伝来した曲芸・軽業的技術が,中世にいたって放下(ほうか)師(僧)によって専門的に演じられる芸となる。その種目は長さ30cm内外,太さ1cmくらいの竹の棒2本を持って打ち合わせたり曲取りをする〈筑子(こきりこ)〉や平安時代から盛んに行われていた曲芸で,鼓の胴の形をして中央のくびれた部分に紐を巻き,回転させたり,空中高く飛ばせて曲取りをしたりする〈輪鼓(りゆうご)〉,田楽芸の高足(たかあし)から転化した〈連飛(れんとび)〉とか〈曲鞠(きよくまり)〉〈品玉(しなだま)〉などがあり〈放下〉はこれらの総称ともなった。…
…この歌は風流踊歌と称して,歌謡史のうえでも一つのジャンルを形成した。それは数曲の室町小歌を並べる場合と,放下(ほうか)歌など一種の物語歌を用いる場合とがある。またその歌の頭に格式ばった謡(うたい)の一節を用いることや,囃子詞を多用すること,一首の歌の最後に繰返しの文句を挿入することなどの特色が見られる。…
…滑稽な身ぶりや口上で手品や曲芸をし,銭を乞うた大道芸人をいう。《嬉遊笑覧》に,〈放下師を今は豆蔵といふ,《斎諧俗談(さいかいぞくだん)》といふ物に,貞享元禄(1684‐1704)の頃,摂津国に一人の乞士あり名を豆蔵といふ,市中に出て常に重きものをささげて銭を乞ふ……〉とあり,大坂市中で豆蔵という者が腹の上に臼を置いて餅をつかせたり,鎗(やり)を鼻の先に立てるなどの曲芸をして人気があったらしい。これ以後ほかの者も豆蔵の名を使うようになり,芸の名称としても用いられた。…
※「放下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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