常世長胤(読み)とこよ・ながたね

朝日日本歴史人物事典 「常世長胤」の解説

常世長胤

没年:明治19.3.19(1886)
生年天保3(1832)
明治前期の平田派国学者。下野国(栃木県)都賀郡壬生に住み,はじめ常住敬吉と称したが,のち常世長胤と改めた。慶応2(1866)年に平田篤胤没後門人となり,維新後は神祇官内宣教師に出仕。次いで芝大神宮祠官や教部省中録,山形県使,神宮教(伊勢神宮神官を中心として組織された神道系宗教)山形県本部長などを歴任したが,神宮教管長田中頼庸と対立して職を追われた。国学者として,あるいは神祇,宗教官僚としての業績にみるべきものはないが,その回顧談である『神教組織物語』は明治前期の神道史,宗教行政史研究の古典となっている。

(阪本是丸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「常世長胤」の解説

常世長胤 とこよ-ながたね

1832-1886 幕末-明治時代の国学者,神道家。
天保(てんぽう)3年生まれ。平田銕胤(かねたね)にまなぶ。維新後,宣教使の講義生,芝大神宮祠官(しかん),教部省中録などをへて神宮教山形県本部長となるが,管長の田中頼庸(よりつね)と対立し辞職。明治19年3月19日死去。55歳。名ははじめ常住敬吉。著作に「神教組織物語」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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