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田中頼庸 たなか よりつね

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美術人名辞典の解説

田中頼庸

薩摩藩士・国学者・神道家。通称藤八、号は雲岫・梅屋。薩摩鹿児島生。神騨5省に入り、大教正・伊勢神宮大宮司・神道神宮教管長を務める。古典に精通した。著書に『校訂日本紀』『校訂古事記』等がある。明治30年(1897)歿、62才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田中頼庸 たなか-よりつね

1836-1897 明治時代の神道家。
天保(てんぽう)7年5月生まれ。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士。明治4年神祇(じんぎ)省にはいり,大教正,伊勢神宮宮司(ぐうじ)をへて神道事務局副管長。15年教派神道として独立した神道神宮教の管長となる。明治30年4月10日死去。62歳。通称は藤八。号は雲岫。著作に「校訂日本紀」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

田中頼庸

没年:明治30.4.10(1897)
生年:天保7.5(1836)
明治前期の神道家。鹿児島藩士だったが,明治4(1871)年神祇省に出仕。翌年教部大録,神宮大宮司などを経て,9年に大教正,13年に神道事務局副管長となる。神道界の祭神論争の際には,伊勢派の代表格として,出雲派の千家尊福と対立。15年に,神道神宮教 が一派独立すると,その管長に就任して,神宮宮司を辞職した。著書は『校訂日本紀』『校訂古事記』『神徳論』『祭神略記』など多数。<参考文献>阪本健一『明治神道史の研究』

(井上順孝)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

田中頼庸
たなかよりつね

[生]天保7(1836).薩摩
[没]1897.4.10.
神官,神道学者。通称藤八,号は雲岫。元鹿児島藩士。明治4 (1871) 年神祇省に出仕し,教部大録を振出しに,正六位権大教,1876年大教正。 80年神道事務局副管長,82年には神道神宮教管長となった。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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