常楽村(読み)じようらくむら

日本歴史地名大系 「常楽村」の解説

常楽村
じようらくむら

[現在地名]氷上町常楽

東端を佐治さじ(加古川)が流れ、南は成松なりまつ村。但馬への道が通る。永禄六年(一五六三)一二月以前と推定される年欠七月七日の細川氏綱感状(小森文書)に「去廿九日、於新庄・常楽表、合戦」とあり、戦功のあった小森与介に感状が出されている。永禄五年八月一九日の円通寺段銭米納帳(円通寺文書)には常楽宮がみえる。慶長三年(一五九八)織田信包(柏原藩)領となる。正保郷帳に村名がみえ田高六〇九石余・畠高九八石余、芝山あり、日損・水損少しあり。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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