佐治川(読み)さじがわ

日本歴史地名大系 「佐治川」の解説

佐治川
さじがわ

岡山県上齋原かみさいばら村と佐治村境の辰巳たつみ峠に源を発し、佐治村域を東西に縦断して用瀬もちがせ別府べふ千代川に合流する一級河川。延長一九キロ、流域面積八三・一平方キロ。当川には大小合せて二十数本の支流が合流し、主なものとしてなか山王谷さんのうだに(川奥谷川)尾際おわい北谷きただに(尾際谷川)福園ふくぞの木合谷きごうだに(木郷谷川)加瀬木かせぎ津野谷つのだに川、葛谷かずらたに津無谷つなしだに川・大谷奥おおたにおく川を合流する。これらの支流は急流となって山を下るため多くの滝がつくられ、源流に近い栃原とちわら登々呂ととろヶ滝、山王谷川下流にある高さ一五メートル・幅四メートルの山王滝、北谷川上流のあめヶ滝、木合谷川の不動ふどう滝、津野谷川のかめヶ滝(神ヶ滝)、津無谷川の源氏げんじ滝などが比較的規模の大きいものである。


佐治川
さじがわ

加古川の上流部、篠山川合流点以北の通称。延長三四・八キロ。青垣あおがき大名草おなざに発してほぼ東流、同町佐治、氷上町を南流し、山南さんなん井原いばらで篠山川と合流する。途中で遠阪とおざか川・葛野かどの川・柏原かいばら川などを合せる。近世には水上の流通路としての役割をなしており、慶長九年(一六〇四)田高たこう(現黒田庄町)とを結ぶ舟運が開かれ、本郷ほんごう(現氷上町)には舟座が設置された(「生郷村誌」など)。現在舟座跡には記念碑と二基の灯籠が残されている。「沼貫村誌」によると本郷橋下の左岸側には船着場があり、本郷集落から本郷橋に向かって旅館が並んでいた。同地では柏原藩の領主米や俵物なども積下ろされたという(加古川・丸山川の舟運)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐治川の言及

【加古川】より

…幹川流路延長96km,全流域面積1730km2。京都府との境の遠阪峠付近から発する佐治川と,篠山(ささやま)盆地の水を集めて西流する篠山川が山南町で合流して加古川となり,以後杉原川,東条川,美囊(みのう)川などの支流を合わせて播磨灘に注ぐ。中流の西脇市付近までは小盆地群を貫いて流れ,丘陵や段丘の発達した播磨平野に入ると川幅も広がり,下流では広大な三角州を形成する。…

※「佐治川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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