日本歴史地名大系 「下新庄村」の解説
下新庄村
しもしんじようむら
南端を
慶長三年(一五九八)織田信包(柏原藩)領となる。正保郷帳に村名がみえ田高二六七石余・畠高七九石余、柴山あり、日損所あり。柏原藩領。慶安三年(一六五〇)幕府領、天和二年(一六八二)幕府と旗本柴田氏の相給、貞享元年(一六八四)旗本大久保氏と稲垣和泉守の相給となる(「寛政重修諸家譜」・鶴牧藩大概帳)。
下新庄村
しもしんじようむら
下新庄村
しもしんじようむら
- 福井県:鯖江市
- 下新庄村
下新庄村
しもしんじようむら
手取川扇状地扇央東部に位置し、北は
下新庄村
しもしんじようむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報