日本大百科全書(ニッポニカ) 「柏原藩」の意味・わかりやすい解説
柏原藩
かいばらはん
丹波(たんば)国(兵庫県)氷上(ひかみ)郡柏原周辺を領有した小藩。外様(とざま)。藩庁所在地は現在の丹波市柏原町、城はなく陣屋であった。織田信秀(のぶひで)の四男信包(のぶかね)が伊勢安濃津(いせあのつ)より3万6000石で1598年(慶長3)入封。信包は1614年(慶長19)に没し信則(のぶのり)、信勝と続いたが、信勝に子がなく除封。その後45年間は天領となり、幕府の直接支配を受けた。1695年(元禄8)大和宇陀(やまとうだ)の城主織田信休(のぶひさ)が2万石でこの地に移され、柏原藩を再興。この信休の遠祖は信長(信包の兄)の二男信雄(のぶかつ)の五男高長(たかなが)であった。その4代目が信休である。入封直後、藩校崇高館を創立し儒学を中心とした文教政策に力を入れた。信休のあと信朝(のぶとも)、信旧(のぶひさ)、信馮(のぶより)、信守(のぶもり)と続き、天保(てんぽう)年間(1830~44)信古(のぶもと)のとき藩札を乱発し経済混乱のため暴動が起こった。以後、信貞(のぶさだ)、信敬(のぶのり)、信民(のぶたみ)、信親(のぶちか)と続き、1871年(明治4)に廃藩、柏原県、豊岡県を経て、兵庫県に編入された。
[井上正一]