20世紀日本人名事典 「常磐井堯煕」の解説 常磐井 堯煕トキワイ ギョウキ 明治・大正期の僧侶,男爵 真言宗高田派管長。 生年弘化1年12月27日(1845年) 没年大正8(1919)年5月23日 出生地京都 経歴関白・近衛忠凞の七男に生まれ、有栖川宮幟仁親王の養子(第二王子)となる。嘉永7年(1854年)伊勢(三重県)の真宗専修寺に入り、文久元年(1861年)円禧の後を継いで住職となり派内の異議問題を鎮定して派名を高田派と公称した。明治9年真宗四派連合管長となって近代真宗の興隆に奔走した。法名は初め円禔、のち堯凞。5年初めて常磐井氏を称し、29年男爵となる。また18年兄・近衛忠房の三男(堯猷)を養嗣子とした。和歌をよくし、「さみだれ集」「千代のみどり」「明治開花和歌集」などに収録されている。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by