デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近衛忠房」の解説 近衛忠房 このえ-ただふさ 1838-1873 幕末の公卿(くぎょう)。天保(てんぽう)9年8月6日生まれ。近衛忠煕(ただひろ)の子。姻戚(いんせき)関係にあった薩摩(さつま)鹿児島藩主島津氏と朝廷との提携をはかり,文久3年(1863)父らとともに公武合体派による朝廷内部のクーデターをおこす(八月十八日の政変)。慶応3年(1867)左大臣。従一位。明治6年7月16日死去。36歳。日記に「忠房公記」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近衛忠房」の意味・わかりやすい解説 近衛忠房このえただふさ [生]天保9(1838).8. 京都[没]1873.7.15. 東京幕末期の公卿。左大臣,内大臣をつとめる。関白近衛忠煕の子で,慶応3 (1867) 年5月,兵庫開港勅許問題のおり,薩摩藩など討幕派と将軍徳川慶喜らの間に立って斡旋。幕府側の圧力で一時国事掛を罷免された。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
367日誕生日大事典 「近衛忠房」の解説 近衛 忠房 (このえ ただふさ) 生年月日:1838年8月6日江戸時代;明治時代の公家1873年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by