朝日日本歴史人物事典 「近衛忠房」の解説
近衛忠房
生年:天保9.8.6(1838.9.24)
幕末維新期の公家(摂家)。近衛忠煕の子。妻光子が薩摩藩主島津斉彬の養女であったこともあり,政治的にも,父忠煕と同様,姻戚関係にある薩摩藩と提携して行動することが多かった。嘉永4(1851)年権大納言となり,文久2(1862)年国事御用掛を兼任するが,尊攘派の急進的な行動を危惧し,翌年8月18日の政変決行に関与。その後,内大臣を経て,慶応3(1867)年左大臣となるが,次第に摂家の権勢も失われつつあり,一方では,岩倉具視や中山忠能ら討幕派廷臣の活動が顕著となったため,王政復古の政変直前に辞官した。
(箱石大)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報