日本歴史地名大系 「幡川村」の解説 幡川村はたがわむら 和歌山県:海南市幡川村[現在地名]海南市幡川日方(ひかた)川の南岸にあって、藤白(ふじしろ)山系の熊尾寺(くまおじ)山(五四三メートル)の北斜面に位置する。名草(なくさ)郡に属し、北は大野中(おおのなか)、西は山田(やまだ)、東は重根(しこね)・別所(べつしよ)の各村に接する。村は名高(なたか)浦に注ぐ小河川や山田川の谷にあり、「続風土記」は地名の由来を「古文書には畑川と称するもの多し、幡は畑にして谷あれとも水田なき地なれは幡川と称するならん」と記している。紀伊国守護所が大野郷に置かれたと思われる南北朝期に、守護の祈祷寺院として栄えたこの地の禅林(ぜんりん)寺は、幡川寺ともよばれたが、建武元年(一三三四)一〇月八日付の沙弥覚心重書等紛失状案(「続風土記」所収禅林寺文書)に「幡河寺敷地領内山野等事」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報