20世紀日本人名事典 「幡瀬川邦七郎」の解説 幡瀬川 邦七郎ハタセガワ クニシチロウ 大正・昭和期の力士(関脇) 生年明治38(1905)年6月1日 没年昭和49(1974)年5月12日 出身地秋田県湯沢市八幡 本名大野 邦七郎 旧姓(旧名)佐藤 別名年寄名=千賀ノ浦,楯山(タテヤマ) 経歴大正11年5月場所で初土俵、昭和3年3月場所で入幕。恵まれない体と非力をカバーすべく猛稽古で技を磨き、千変万化の取り口と切れ味で“相撲の神様”といわれ、関脇5場所、小結4場所を務めた。15年1月場所を最後に引退。伊勢ケ浜部屋の年寄千賀ノ浦を経て、43年まで年寄楯山を務め、相撲協会の理事として戦後の相撲復興につくした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「幡瀬川邦七郎」の解説 幡瀬川邦七郎 はたせがわ-くにしちろう 1905-1974 大正-昭和時代の力士。明治38年6月1日生まれ。昭和3年入幕。最高位は関脇。15年引退。身長170cm,体重85kgの小兵の技能派力士で「相撲の神様」とよばれた。伊勢ケ浜部屋の年寄楯山(たてやま)として日本相撲協会理事をつとめた。横綱照国(てるくに)は娘婿。昭和49年5月12日死去。68歳。秋田県出身。本名は大野邦七郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by