平佐村(読み)ひらさむら

日本歴史地名大系 「平佐村」の解説

平佐村
ひらさむら

[現在地名]川内市平佐町・鳥追町とりおいちよう横馬場町よこばばちよう白和町しらわちよう

南西流する川内川南東岸にあり、東は百次ももつぎ田崎たさき村、西は隈之城くまのじよう東手ひがしで村、北は平佐郷天辰あまだつ村。応永一五年(一四〇八)一〇月一一日の比志島義勝軍忠状(比志島文書)には「薩摩郡平佐城」で合戦をし、城を攻め落した時の軍忠が注進されている。永伝元年(延徳二年、一四九〇)八月二一日の渋谷重豊譲状(入来院文書)には子息重聡に譲与した所領のうちに薩摩郡草原くさばる名など近隣の地があげられている。この草原名は当地南方の草原を遺称地とする。天文元年(一五三二)一二月には入来院重朝が同月五日平佐城を攻略し、占領した祝として子重嗣から入来いりきもと(現入来町)の諏訪大明神に清色きよしき(現同上)樋口井手の本堀町一所が寄進された(同月吉日「入来院重嗣寄進状」庶流入来院文書)。永禄一二年(一五六九)冬入来院重嗣・東郷重尚は島津貴久に降伏し、重嗣は所領清色および平佐などを島津氏に献じた。これにより当地は島津氏領となった(入来院氏系図、「島津義久譜」旧記雑録など)

上井覚兼日記」によれば、天正二、三年(一五七四、七五)頃の平佐地頭は野村秀綱であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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