コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

平信兼 たいらの のぶかね

2件 の用語解説(平信兼の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

平信兼 たいらの-のぶかね

?-? 平安時代後期の武将。
平盛兼の子。伊勢平氏の一族で検非違使(けびいし),河内守(かわちのかみ),和泉守(いずみのかみ),出羽守(でわのかみ)などを歴任,伊勢鈴鹿郡関を本拠とし関姓を名のる。平氏の都落ちにはくわわらず,元暦(げんりゃく)元年(1184)平田家継らと蜂起したが源義経に鎮圧された。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

平信兼

生年:生没年不詳
平安末期の武将。盛兼の子。桓武平氏の一門で,伊勢国(三重県)鈴鹿郡の関を苗字とし,壱志郡にも勢力を有す。鳥羽院政末期から検非違使などとして活動。久寿2(1155)年,路頭で左大臣藤原頼長と闘乱,解官されるが,翌年の保元の乱には後白河方として参戦。独立した軍事貴族として行動したが,のちに平清盛に従属,「家人」と評される。河内・和泉・出羽守などを歴任,正五位下に至る。治承4(1180)年源頼朝挙兵の際に討たれた山木兼隆は子。平氏都落ちには同道せず,官職も保持したが,元暦1(1184)年7月,平田家継らと共に蜂起,鈴鹿山を切りふさいだ。このため,翌月源義経によって子息は殺害され,信兼も追討を受けた。<参考文献>角田文衛『平家後抄』,西村隆「平氏家人表」(『日本史論叢』10輯)

(元木泰雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

平信兼の関連キーワード伊勢平氏桓武平氏平氏六波羅八平氏長田忠致河崎重家河崎基家平盛兼藤原景家

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone