平塚英吉(読み)ヒラツカ ヒデキチ

20世紀日本人名事典 「平塚英吉」の解説

平塚 英吉
ヒラツカ ヒデキチ

大正・昭和期の農芸化学者,蚕糸学者 元・東京帝大教授;元・大日本蚕糸会蚕糸科学研究所長。



生年
明治21(1888)年3月3日

没年
昭和59(1984)年7月6日

出生地
山形県新庄市

学歴〔年〕
東京帝大農科大学農芸化学科〔明治44年〕卒

学位〔年〕
農学博士

主な受賞名〔年〕
勲二等旭日重光章〔昭和39年〕,文化功労者〔昭和46年〕

経歴
大正15年から昭和23年まで東大教授。その間、農林省蚕糸試験場長を務めたほか、大日本蚕糸会蚕糸科学研究所長、25〜30年農林省農業技術研究所長を歴任。特に蚕の栄養に関する研究で知られ、戦前戦後を通じてわが国養蚕業の発展に尽くした。日本蚕糸学会会長、日本農芸化学会会長、日本農学会会長など歴任。26年学士院会員、46年文化功労者。著書に「日本蚕糸業史学術史」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平塚英吉」の解説

平塚英吉 ひらつか-えいきち

1888-1984 大正-昭和時代の蚕糸学者。
明治21年3月3日生まれ。平塚広義の弟。欧米留学後,大正15年東京帝大教授。農林省蚕業試験場(のちの蚕糸試験場)の場長兼任。のち農林省農業技術研究所長。蚕(かいこ)の栄養に関する研究で知られた。昭和46年文化功労者。昭和59年7月6日死去。96歳。山形県出身。東京帝大卒。

平塚英吉 ひらつか-ひできち

ひらつか-えいきち

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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