新撰 芸能人物事典 明治~平成 「平安山英太郎」の解説
平安山 英太郎
ヘンザン エイタロウ
- 職業
- 俳優
- 生年月日
- 明治38年 6月8日
- 出生地
- 沖縄県那覇市東町
- 経歴
- 次兄の次郎が俳優だった関係で芝居の道に入り、大正7年13歳で初舞台を踏む。大柄で容姿美声に恵まれて女形や二枚目を演じ、昭和7年真境名由康作「今様貞不貞」で主役をつとめ一躍名を高める。また、28歳の時の自作自演の時代悲劇「仏桑華」ではその人気を決定的なものにした。一時期真楽座の幹部にもなったが、のち珊瑚座に加入。しかし、人気への妬みと人妻とのスキャンダルで引退を余儀なくされる。戦後は玉城盛義らと南月舞踊団を結成し、舞踊と演劇で新しい分野を開拓。玉城の退団後は巴劇団として再出発した。晩年は化粧品で鉛中毒を起こし半身不随となったが、乙姫劇団の指導などに当たった。独自の忍びの型を作り、今日でも沖縄時代劇の忍びの型の手本とされている。
- 没年月日
- 昭和54年 4月14日 (1979年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報