朝日日本歴史人物事典 「平山子竜」の解説
平山子竜
生年:宝暦9(1759)
江戸中・後期の兵学者。名は潜,通称行蔵,号兵原,子竜は字。幕臣伊賀組の家に生まれた。寛政5(1793)年昌平黌に入り,8年普請役を命ぜられたが,不満で病と称して辞し,以後読書に没頭した。政治や農業技術などの実用の書のみを読んだが,特に兵法書は1800部余りを蔵していたという。またあらゆる武芸を講究し,「十八般」に分類した。門人には昼間は武芸を教え,夜は兵法を講じるという生活を送り,終生独身を通した。著書は『兵原先生文稿』『孫子折衷』『海防問答』など多数。<参考文献>寺石正路「平山行蔵逸事」(『歴史地理』1968年1月号),五弓久文編『事実文編』54巻
(梅澤秀夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報