朝日日本歴史人物事典 「平岡円四郎」の解説
平岡円四郎
生年:文政5.10.7(1822.11.20)
幕末の幕臣。嘉永6(1853)年12月,川路聖謨,藤田東湖に推され一橋家小姓となり徳川(一橋)慶喜に近侍。将軍継嗣問題では慶喜擁立を工作,安政の大獄で差控,甲府勝手小普請に左遷さる。慶喜の将軍後見職就任に伴い,文久3(1863)年一橋家用人となり上洛。翌元治1(1864)年5月15日一橋家家老となる。「天下の権朝廷に在るべくして在らず幕府に在り,幕府に在るべくして在らず一橋に在り,一橋に在るべくして在らず平岡・黒川に在り」と評される。奸臣とみなされ,同年,水戸藩士の手にかかり殺害された。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報