日本歴史地名大系 「平戸城跡」の解説
平戸城跡
ひらどじようあと
平戸瀬戸に臨む
〔戦国大名から近世大名へ〕
平戸松浦氏は平戸党の結束を利用しながらも族的結合を否定し、隆信(道可)の時代には
平戸藩主は鎮信(法印)を初代として一度の転封もなく、久信(泰岳)・隆信(宗陽)・鎮信(天祥)・棟(雄香)・篤信(松英)・有信(等覚)・誠信(安靖)・清(静山)・熙(観中)・曜(諦乗)・詮(心月)と一二代にわたった。外様大名で柳間詰。
〔日之岳城と平戸城〕
慶長四年(同八年とも)初代鎮信の時代に亀岡山に築城、日之岳城と称し、また城下の建設も進められた。亀岡古城図(元禄一六年写、松浦史料博物館蔵)によれば、北東部に本丸、その西手に二ノ郭、同じく南に三ノ郭があり、北部に外郭と記され、南西部に大手とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報