(1)江戸幕府の役職。旗本役の最高で,役高5000石。城主格の待遇を受け,次男まで将軍の御目見を許され,下屋敷を拝領した。定員4~8名。大奥の取締りに当たり,諸関所女通行手形の発行を管理した。初期には将軍が江戸城を離れることも多かったので,その地位も重く,元老級の譜代の老臣を〈大留守居〉に任命し,将軍留守中は江戸城守衛の総指揮権を与え,平時も老臣の一員として政務を担当させることもあった。また初期には諸大名が人質として幕府に登録し,江戸藩邸に常住させた〈証人〉の身柄を管理するのも重要任務であった。さらに1635年(寛永12)からは金銀収納の役も加わった。しかし将軍の江戸城を離れる機会が乏しくなり,幕府の職制も整備・分化するにつれて,留守居の地位も権限もしだいに低下した。65年(寛文5)諸大名の証人制が廃止となり,89年(元禄2)金銀収納役も勘定頭の権限に吸収され,大留守居も1700年以降任命されなくなった。さらに1664年老中から移管された寄合小普請組つまり無役の旗本御家人を支配する権限も,1719年(享保4)小普請組支配の創置により200俵以下の者に限られ,それも53年(宝暦3)からは小普請組支配へ移管された。こうして留守居は,旗本役としては格の高い役職ながら,高齢者の閑職となっていった。
(2)諸大名の江戸藩邸におかれた役職。広義には江戸家老をも含むが,通例は聞役(ききやく)=聞番(ききばん)をさす。江戸常住の外交職で,幕府や諸大名から情報を集め,儀礼・交際など万事に失態のないよう取り計らうのが任務であった。そのため諸大名の留守居の間では,主人の家格に応じて留守居組合を作り,情報の交換を図った。その会合は,藩邸内の長屋住居の手狭を理由に茶屋,料亭を用い,費用を主家から支出するため,しだいにぜいたくでみだらに流れる傾向にあり,享保改革のころから取締措置がくり返されているが,その効果は乏しかったようである。一方,江戸の風俗や料理の上に及ぼした留守居の会合の影響は大であったといわれている。
(3)諸大名の大坂蔵屋敷の役職で大坂蔵屋敷の責任者。商人や掛屋との交渉に当たり,また諸大名蔵屋敷留守居との交際を任とした。このほか京都に藩邸をもつ大名家には,京都留守居を置いて藩の代表者としていたが,幕末期にはその役割の重要性が高まった。
執筆者:辻 達也
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江戸幕府、諸藩にみられる職名。幕府には大留守居、留守居、留守居番の別があった。大留守居は常置の職とはいいがたく、門閥の譜代(ふだい)大名をもって任じ、1701年(元禄14)に稲葉正通(まさみち)が老中に転出したあと廃止になった。留守居は留守居年寄とも称し、定員4~6人、5000石高、諸大夫(しょだいふ)、芙蓉間(ふようのま)、老中支配、各与力10騎、同心50人が付属した。奥向きの取締り、諸国の関所女切手(おんなきって)、府内見附門(ふないみつけもん)の預りなど管掌事項は各方面にわたり、そのため多くの役職を配下に置いた。また小普請(こぶしん)組を支配したこともあった。1719年(享保4)に小普請支配が置かれてのちは200石以下の士のみを支配し、1753年(宝暦3)以後はすべての士が小普請支配に移った。留守居番は定員5~6人、1000石高、布衣(ほい)、中之間(なかのま)、老中支配、各与力6騎、同心20人が付属し、おもに城内の警衛、奥向きのことなどを管掌した。留守居、留守居番ともに西丸などにもあった。
諸藩には、藩主不在のときに居城または江戸藩邸をあずかる留守居(幕府の留守居にあたる)のほかに、聞番(ききばん)、公儀人(こうぎにん)、城使(じょうし)、城役(しろやく)あるいは留守居などと称し、江戸藩邸にあって幕府と藩との間の連絡、交渉にあたり、他藩の動向を探ることを管掌した、いわゆる大名留守居があった。
[北原章男]
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…1635年幕府は年寄(老中)以下主要役職の管掌事項を制定したが,関東幕領と農民の訴訟は松平正綱,伊丹康勝,伊奈忠治,大河内久綱,曾根吉次の5人に月番による勤務を命じ,これがのちの勘定奉行の職掌とされる。42年金銀納方を職務の一つとしていた留守居のうち酒井忠吉・杉浦正友が国用査検,曾根吉次・酒井・杉浦・伊丹康勝が租税財穀出納を命じられ,伊奈忠治が勘定頭をゆるされた。この時点で農政部門と財政経理部門が合一し,留守居兼務の職務も勘定頭に一元化して勘定頭制が成立し,同時に伊奈は事実上の関東郡代となった。…
…通常,蔵屋敷には蔵役人,名代(みようだい),蔵元,掛屋,用聞(ようきき),用達(ようたし)と呼ばれる構成員がいた。蔵役人は領主から派遣された蔵屋敷の元締めたる武士であり,その重職を留守居といった。名代以下は立入人と総称され,主として有力な商人がこれにあたった。…
…日本近世において,主人不在の家屋敷を預かり,その管理・維持に携わる管理人のこと。家主(やぬし∥いえぬし),屋代(やしろ),留守居(るすい),大家(おおや)などとも呼ばれた。日本の近世社会は,家屋敷の所持者である家持を本来の正規の構成員として成立していたが,なんらかの事由で家屋敷の主人が長期にわたって不在となる場合,不在中の主人に委嘱され,家屋敷の管理・維持にあたるのが,家守の基本的性格である。…
※「留守居」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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