平民村(読み)へいみむら

日本歴史地名大系 「平民村」の解説

平民村
へいみむら

[現在地名]浅羽町豊住とよずみ

小口市場こぐちいちば村の南に位置する。天正一七年(一五八九)に島田次郎兵衛尉重次が奉者となって、徳川家七ヵ条定書(掛川誌稿)が「遠州平民村」宛に交付された。正保郷帳に村名がみえ、横須賀藩領。田方六六五石余・畑方三六石余、蔵安寺領一石五斗。元禄郷帳では高七五二石余。国立史料館本元禄郷帳によれば幕府領、旗本松平・花房菅谷の相給、ほかに常楽じようらく寺領。享保郷村高帳では掛川藩、旗本皆川・花房・菅谷の四給。以降の皆川領の変遷は米丸よねまる村に同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android