平津新田村(読み)ひらづしんでんむら

日本歴史地名大系 「平津新田村」の解説

平津新田村
ひらづしんでんむら

[現在地名]遊佐町小原田おはらだ

平津村の南西にあり、北西大楯新田おおだてしんでん村。明暦二年(一六五六)の検毛帳(飽海郡誌)では高四七石余。享和三年(一八〇三)には家数一五・人数七六(「村数家数人高控帳」斎藤文書)庄内要覧によれば免五ツ四厘、家数一五。寛永一一年(一六三四)下野沢しものざわ村菅原次右衛門と上楸島かみぐみじま村石川作右衛門は、藩命により由利ゆり仙北せんぼく両郡(現秋田県)に欠落した農民を連戻し、当村を含む天神てんじん新田村など七ヵ村を開発した(「山仕置書物」菅原文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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