秋田県東部の市。2005年9月角館(かくのだて)町,田沢湖(たざわこ)町と西木(にしき)村が合体して成立した。人口2万9568(2010)。
仙北市南端の旧町。旧仙北郡所属。人口1万4676(2000)。横手盆地の北部にあり,雄物川支流の玉川と檜木内(ひのきない)川の合流点にあたる。中心の角館は〈かくだて〉とも呼ばれ,横手盆地と南部地方,阿仁地方を結ぶ交通の要地にあたる。JR田沢湖線(秋田新幹線)角館駅があり,秋田内陸縦貫鉄道を分岐している。現在の町の中心は近世初期に建設され,中央に〈火除け〉と呼ばれる広場を配し,北側に武家屋敷町(内町),南側に商家町(外町)が整然と区画されている。古い武家屋敷を残す内町の中央部は,国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され,観光客も多い。秋田蘭画の祖小田野直武や日本画家平福百穂の出身地としても知られる。檜木内川左岸の2kmにわたる桜並木,内町,田町のシダレザクラ(天)が有名。特産の桜皮細工は明治維新後士族授産の一環として発達したものである。
執筆者:佐藤 裕治
中世の雲志賀里(くもしかり)(雲然)郷の一部であることは確かとみられ,15世紀より戸沢氏の居城としてこの地方の中心地であった。1602年(慶長7)戸沢氏の転封,佐竹氏の入部により,翌03年より蘆名氏が所預(ところあずかり)として入る。元和の一国一城令により城は破却され,館構えとなり,これを機に町割りが実施され,ほぼ現在の市街地が形成された。53年(承応2)蘆名氏断絶後,56年(明暦2)佐竹一門の義隣が入り,以後佐竹北家を称した。享保期(1716-36)の町割図では武家約240軒,足軽約70軒,町人約420軒であった。
執筆者:高橋 秀夫
仙北市東部の旧町。旧仙北郡所属。人口1万2899(2000)。玉川流域の南北に長い広大な地域を占め,西部に田沢湖がある。中心の生保内(おぼない)は,近世には国見峠越えで秋田藩領と盛岡藩領を結ぶ交通の要地で,宿場町として発達し,関所も置かれた。1923年には生保内線が通じ,66年に田沢湖線として盛岡まで全通した。76年には国道46号線の仙岩トンネルが完成,東北自動車道,東北新幹線,秋田新幹線(1997)の開通に伴い,秋田県の新しい玄関口になりつつある。町域の大部分を山林が占め,製材,木工業が盛ん。玉川上流には鎧畑ダムがあり,生保内発電所(1940完成)をはじめ電源開発も盛ん。田沢湖,抱返(だきがえり)渓谷などの景勝地に恵まれ,豊富な湯量で知られる玉川温泉,乳頭温泉郷もある。また《秋田(田沢)おばこ》など民謡の宝庫でもある。
仙北市西部の旧村。旧仙北郡所属。人口5990(2000)。玉川支流の檜木内川の流域を占め,村域の大部分は出羽山地の山林原野からなる。南部は横手盆地北端を占める沖積低地で,東部は田沢湖に面する。かつては薪炭と馬の産地として知られ,小規模ながらも多くの鉱山があった。現在は用材,山菜などを産する。檜木内川の谷から大覚野(だいかくの)峠を経て阿仁地方に至る阿仁街道は,近世は阿仁鉱山への物資の輸送路であったが,鉱山の衰退以降,交通の要路からはずれた。第2次大戦後は阿仁田沢総合開発特定地域として,鷹角(ようかく)線,国道105号線の建設がすすめられ,国道は1974年に全線が開通し,鷹角線(現,秋田内陸縦貫鉄道)も89年には全線開通した。上檜木内の戸沢地区はまたぎの里として知られる。
執筆者:佐藤 裕治執筆者:佐藤 裕治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
秋田県中東部に位置する市。2005年(平成17)、仙北郡角館町(かくのだてまち)、田沢湖町、西木村(にしきむら)が合併、市制施行して成立。東部は秋田駒ヶ岳(こまがたけ)など奥羽山脈がそびえ、西部は出羽山地。市域の約8割が森林地帯で占められている。中央部に日本でもっとも深い湖の田沢湖があり、その東側を玉川、西側を檜木内(ひのきない)川が南流、横手盆地に入り、市域の南端で合流する。JR田沢湖線(秋田新幹線)が通じ、角館駅で秋田内陸縦貫鉄道を分岐する。国道46号、105号、341号が通じる。
市域の中世は戸沢氏の支配を受け、江戸時代は秋田藩佐竹氏領。東部は豪雪地帯で、水力発電所が多く設置されている。林業が盛んでシイタケ、ナメコ、クリなどを産する。北東部は十和田八幡平(はちまんたい)国立公園に含まれ、乳頭(にゅうとう)温泉郷、玉川温泉や、県立自然公園の田沢湖、抱返(だきがえり)渓谷、さらに「あきた芸術村」、スキー場など、観光資源が豊富である。秋田駒ヶ岳高山植物帯は国の天然記念物。玉川温泉の北投石は特別天然記念物。南部の角館は江戸時代には交通の要衝で、佐竹北家が所預(ところあずかり)となり、城下町では支藩的な行政が行われた。現在に至るまで当時の景観が残されており、表町などが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。「みちのくの小京都」とよばれ観光客も多い。角館のシダレザクラ153本は国指定天然記念物、檜木内川堤(サクラ)は国の名勝。角館祭りのやま行事(飾山囃子(おやまばやし))は国の重要無形民俗文化財で、山・鉾・屋台行事としてユネスコの無形文化遺産に登録。国指定の伝統的工芸品として樺細工(かばざいく)が知られている。江戸時代、西部の山地は久保田(秋田市)近辺への薪の供給地で、また、藩財政にとって重要なスギ、ヒノキなどを産した。農業は米作中心で、肉用牛の肥育も行われている。西明寺グリを特産する。県の無形民俗文化財「戸沢ささら(獅子舞)」が残る。灯火を利用して巨大な紙風船を飛ばす「紙風船上げ」は冬の年中行事としてよく知られている。面積1093.56平方キロメートル、人口2万4610(2020)。
[編集部]
秋田県中東部、仙北郡にあった旧町名(仙北町(まち))。現在は大仙(だいせん)市の南東部を占める地域。1955年(昭和30)高梨(たかなし)、横堀の2村が合併して仙北村となり、1974年町制施行。2005年(平成17)大曲市(おおまがりし)、神岡、西仙北、中仙、協和、太田(おおた)の5町および南外村(なんがいむら)と合併して大仙市となった。横手盆地のほぼ中央部にあり、地域の74%が耕地である。地域東部の真(しん)山、長森の台地は平安初期に払田柵(ほったのさく)(国史跡)が築かれた所。東北地方最大の官衙(かんが)遺跡で、1981年秋田県埋蔵文化財センターが建設され、払田柵をはじめ県内の出土品が収納されている。耕地整理は第二次世界大戦前に、旧仙北郡内でもっとも早く終了した。1965年に全国に先駆けて高梨農協にカントリーエレベーターが導入された。2004年に旧池田氏庭園が国の名勝に指定された。
[宮崎禮次郎]
『三森英逸著『仙北の歴史』(1978・仙北町)』
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