平田陽一郎(読み)ヒラタ ヨウイチロウ

20世紀日本人名事典 「平田陽一郎」の解説

平田 陽一郎
ヒラタ ヨウイチロウ

昭和期の新聞人 愛媛新聞相談役;南海放送取締役相談役。



生年
明治41(1908)年11月1日

没年
昭和63(1988)年10月10日

出生地
愛媛県八幡浜市

学歴〔年〕
京都帝大文学部哲学科〔昭和7年〕卒

主な受賞名〔年〕
愛媛県スポーツ功労章〔昭和40年〕,藍綬褒章〔昭和47年〕,勲二等瑞宝章〔昭和53年〕

経歴
京都日日新聞、大阪毎日新聞を経て、昭和17年愛媛合同新聞(のち愛媛新聞)に入社。編集局長、19年常務、21年社長、38年会長、52年取締役相談役を歴任。この間、28年南海放送社長、53年会長もつとめた。著書に「あめりか」「新聞記者」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平田陽一郎」の解説

平田陽一郎 ひらた-よういちろう

1908-1988 昭和時代の新聞・放送経営者。
明治41年11月1日生まれ。「大阪毎日新聞」記者をへて,昭和17年愛媛合同新聞社(現愛媛新聞社)編集局長。21年社長となり,翌年日本ではじめて新聞週間行事を実施した。28年南海放送社長。昭和63年10月10日死去。79歳。愛媛県出身。京都帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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