日本歴史地名大系 「平福陣屋跡」の解説 平福陣屋跡ひらふくじんやあと 兵庫県:佐用郡佐用町平福村平福陣屋跡[現在地名]佐用町平福平福の町並を見下ろす西側の山裾に置かれていた旗本松井氏の陣屋。寛永一七年(一六四〇)山崎藩主となった松平(松井)康映は、同藩領のうち佐用郡田住(たずみ)村(のち平福村)と宗行(むねゆき)・正吉(まさよし)・友延(とものぶ)・庵(いおり)・西河内(にしがいち)・仁方(にがた)・大猪伏(おおいぶし)・植木谷(うえきだに)・豊福(とよふく)(平谷・大畠・末包・淀の各村を含むと思われる)、田和(たわ)・金子(かなご)・来見(くるみ)・才元(さいのもと)・桜山(さくらやま)(現上月町)の一五ヵ村、高五千石を甥の松井康朗に分知した(「佐用郡之内知行目録」田住家文書)。康朗は平福に陣屋を置いたが、歴代松井氏は旗本として江戸に在勤し、平福には代官一―二名を配して支配した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報