佐用町(読み)さようちよう

日本歴史地名大系 「佐用町」の解説

佐用町
さようちよう

面積:一一五・七八平方キロ

佐用郡の中央に位置し、東は南光なんこう町と宍粟郡千種ちくさ町、南は上月こうづき町、西から北は岡山県英田あいだ作東さくとう町・大原おおはら町・東粟倉ひがしあわくら村に接する。町の北部は近世までは美作国、近代に入って岡山県に属していたが、明治二九年(一八九六)県境変更により兵庫県所属となる。町域は北高南低の地形で、南部は標高一〇〇メートル台、北部は八〇〇メートル台である。北東境に日名倉ひなくら(一〇四七メートル)があり、同山を源流とする佐用川が中央部を南流し、左岸いおり川、右岸江川えかわ川が合流する。佐用川流域に佐用盆地が開けるが、八割以上は林野である。昭和二〇年(一九四五)頃までの主産業は米・麦・繭・木炭・木材など農林業で、一時ピーマン・加工用苺なども生産された。


佐用町
さよちよう

[現在地名]山崎町山崎

山崎城下一一ヵ町の一つ。ほん町西隣の東西道筋と、その通りから山崎郭内外堀土橋どばし門までの南北の道筋にあたる。寛永八年(一六三一)赤穂藩主池田政綱(山崎藩主池田輝澄の弟)が没し、政綱の弟で平福藩主の池田輝興が赤穂に転封されたことにより、佐用郡二万五千石は輝澄に加封され、その時に当町ができたという。西新にししん町・西町とも称される。町の南側は山崎城の外堀に接する。貞享五年(一六八八)の惣町中地詰帳(阿波屋文書)によると、土橋門から東を東新町、西を西新町、土橋門筋を西新町裏南片原町と称して三町に区分し、土橋門筋を西の大手とよんでいる。


佐用町
さようちよう

2005年10月1日:佐用郡佐用町・上月町南光町三日月町合併
【上月町】兵庫県:佐用郡
【佐用町】兵庫県:佐用郡
【南光町】兵庫県:佐用郡
【三日月町】兵庫県:佐用郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐用町」の意味・わかりやすい解説

佐用〔町〕
さよう

兵庫県西部,千種川流域にある町。西は岡山県に接する。 1928年町制。 1955年平福町および長谷村,石井村江川村の3村と合体。 2005年上月町,南光町,三日月町と合体。千種川およびその支流域に沖積平野や丘陵地が広がり,米,野菜,雑穀栽培を中心とした農業が行なわれる。特産は朝霧茶,ダイズなど。西部の大撫山 (435m) は早くから千種鉄 (砂鉄) の産地として知られた。中部の平福は中世利神城 (りかんじょう) の城下町,近世は姫路と鳥取を結ぶ因幡街道屈指の宿場町で,代官屋敷のあったところ。旧街道沿いの民家に当時の面影が残る。南部の丘陵地に播磨科学公園都市があり,大型放射光施設のSPring-8などが設置されている。国指定重要文化財を有する瑠璃寺,最明寺などの古刹があり,上三河の舞台は国の重要有形民俗文化財に指定。北部山岳地帯は,音水ちくさ県立自然公園および氷ノ山後山那岐山国定公園に属する。 JR姫新線,智頭急行が佐用駅で連絡。中国縦貫自動車道,国道 179号線,373号線が通る。面積 307.44km2。人口 1万5863(2020)。

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