康正(読み)コウショウ

デジタル大辞泉 「康正」の意味・読み・例文・類語

こうしょう〔カウシヤウ〕【康正】

室町中期、後花園天皇の時の年号。1455年7月25日~1457年9月28日。

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精選版 日本国語大辞典 「康正」の意味・読み・例文・類語

こうしょうカウシャウ【康正】

  1. 室町時代、後花園天皇の代の年号。享徳四年(一四五五)七月二五日、改元。康正三年(一四五七九月長祿と改めた。出典は「史記」に「平康正直」とあるのによる。

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改訂新版 世界大百科事典 「康正」の意味・わかりやすい解説

康正 (こうしょう)
生没年:1534-1621(天文3-元和7)

桃山時代の正系仏師で当時の第一人者。康秀の子で,大仏師大夫法印康正と称し,東寺大仏師をつとめた。宮廷関係,豊臣氏,教王護国寺(東寺),高野山をはじめ京都,奈良の諸大寺などによる像の造立,修理を多く手がけ,日吉神社の神像も製作(1585)している。現存する代表的作品は豊臣秀頼の命で造った教王護国寺金堂の薬師如来座像,十二神将像である。蓮華王院本堂(三十三間堂)の諸像や教王護国寺講堂の五大尊や四天王像などの修理にも当たっている。
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日本の元号がわかる事典 「康正」の解説

こうしょう【康正】

日本の元号(年号)。室町時代、1455年から1457年まで、後花園(ごはなぞの)天皇の代の元号。前元号は享徳(きょうとく)。次元号は長禄(ちょうろく)。1455年(享徳4)7月25日改元。兵革戦乱)の凶事を断ち切るために行われた。『尚書(しょうしょ)』(『書経(しょきょう)』)と『史記(しき)』を出典とする命名。康正年間の室町幕府将軍足利義政(よしまさ)(8代)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「康正」の意味・わかりやすい解説

康正
こうしょう

[生]天文3(1534)
[没]元和7(1621)
安土桃山時代~江戸時代初期の代表的仏師。定朝 21代と称し,康秀の子といわれる。教王護国寺大仏師に補される。慶長7 (1602) 年から同9年にかけて豊臣秀頼の命で同寺金堂の『薬師如来像』などを造像。古典的作風を守る。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「康正」の解説

康正 こうしょう

1534-1621 織豊-江戸時代前期の仏師。
天文(てんぶん)3年生まれ。天正(てんしょう)5年京都教王護国寺(東寺)大仏師職(しき)をつぐ。東寺金堂の薬師三尊像が代表作。蓮華(れんげ)王院本堂(三十三間堂)の仏像修理でも知られる。元和(げんな)7年1月10日死去。88歳。

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