平良ヶ崎館跡(読み)へらがさきだてあと

日本歴史地名大系 「平良ヶ崎館跡」の解説

平良ヶ崎館跡
へらがさきだてあと

[現在地名]南部町沖田面 南古館

沖田面おきたおもての西、馬淵まべち川左岸の丘陵地の末端馬淵川に突き出した場所に位置する。現南部中学校敷地。東と西と南は低地、北は丘陵地となっている。低地との比高約二〇メートル。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「平良ケ崎館 光行公国初承久三年自相内村移、一説建久三年也ト云、未詳事実」とあり、往時の南部氏の居城の一とみられる。本三戸もとさんのへ(聖寿寺館)を南部氏の奥殿、当館を政庁とする説があり(糠部五郡小史)、両館相まって南部氏の本城であったとする所説も唱えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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