日本歴史地名大系 「三戸郡」の解説
三戸郡
さんのへぐん
県の東南部に位置し、北東は旧郡域の
南から
集落は各河川の流域沿いに散在し、県道・主要地方道等の交通ルートが集落間を走る。幹線道路である国道四号(旧奥州街道)は北東流する各河川を南北に縦断し、中央よりやや東寄りを通過して、南の二戸市と北の十和田市をつなぐ。国道一〇四号は東の八戸市から馬淵川に沿って西南に走り、名川町
正安三年(一三〇一)のきぬ女家族書上案(新渡戸・岩大文書)に「三戸さけこし」などとあるが、郡名としては寛永一一年(一六三四)後七月一二日付の領内郷村目録(岩手県盛岡市中央公民館蔵)に「一三戸五戸八戸種一迄三万六千八百五拾八石七斗壱升七合 三戸郡」とみえるのが初見である。同年八月四日付の南部重直宛徳川家光判物(同館蔵)にも南部氏領一〇郡のうちとして「三戸」とみえる。天正一八年(一五九〇)の豊臣秀吉朱印状(盛岡南部文書)に「南部内七郡」とあるが、この七郡は
〔原始・古代〕
旧石器時代の遺跡は確認されていないが、縄文時代を主体とする遺跡が河川沿いの段丘の斜面や沢地に臨む斜面に広く分布する。馬淵川の中流右岸に縄文時代早期から晩期に至る
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報