三戸郡(読み)さんのへぐん

日本歴史地名大系 「三戸郡」の解説

三戸郡
さんのへぐん

面積:一〇六〇・七七平方キロ(境界未定)
田子たつこ町・三戸さんのへ町・南部なんぶ町・新郷しんごう村・倉石くらいし村・五戸ごのへ町・名川ながわ町・福地ふくち村・南郷なんごう村・階上はしかみ

県の東南部に位置し、北東は旧郡域の八戸はちのへ市、西は奥羽山脈をもって秋田県鹿角かづの市、南は岩手県二戸にのへ郡・二戸市九戸くのへ郡、北は上北郡・十和田市に接する。

南から馬淵まべち川が流入し、ほぼ中央を北東流し、八戸市を経て太平洋に注ぐ。南部で西から支流の熊原くまはら川・猿辺さるべ川が合流。北部を五戸川と馬淵川の支流浅水あさみず川が北東流し、東部を新井田にいだ川が北流する。西部は南北に縦貫する奥羽脊梁山脈とそれに続く丘陵地で、中央から東部にかけて台地が発達する。各河川の流域沿いに細長い沖積平野が形成されているが、郡内のほとんどが丘陵台地で占められる。中央南寄りに名久井なくい(六一五・四メートル)、東部の岩手県境に階上岳(七四〇・一メートル)がそびえる。

集落は各河川の流域沿いに散在し、県道・主要地方道等の交通ルートが集落間を走る。幹線道路である国道四号(旧奥州街道)は北東流する各河川を南北に縦断し、中央よりやや東寄りを通過して、南の二戸市と北の十和田市をつなぐ。国道一〇四号は東の八戸市から馬淵川に沿って西南に走り、名川町剣吉けんよしで国道四号と合流したのち三戸町で分岐し、熊原川をさかのぼって鹿角市へ抜ける。馬淵川に沿って国鉄東北本線が走る。

正安三年(一三〇一)のきぬ女家族書上案(新渡戸・岩大文書)に「三戸さけこし」などとあるが、郡名としては寛永一一年(一六三四)後七月一二日付の領内郷村目録(岩手県盛岡市中央公民館蔵)に「一三戸五戸八戸種一迄三万六千八百五拾八石七斗壱升七合 三戸郡」とみえるのが初見である。同年八月四日付の南部重直宛徳川家光判物(同館蔵)にも南部氏領一〇郡のうちとして「三戸」とみえる。天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉朱印状(盛岡南部文書)に「南部内七郡」とあるが、この七郡は糠部ぬかのぶのほか和賀わが稗貫ひえぬき志和しわ・岩手・閉伊へい(現岩手県)、鹿角とする説と北・三戸・二戸・九戸・閉伊・岩手・鹿角とする説がある。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡は確認されていないが、縄文時代を主体とする遺跡が河川沿いの段丘の斜面や沢地に臨む斜面に広く分布する。馬淵川の中流右岸に縄文時代早期から晩期に至る泉山いずみやま遺跡(三戸町泉山)、左岸に前期から晩期に至る松原まつばら遺跡(同町梅内)、やや下って右岸に縄文時代前期から奈良時代に至る虚空蔵こくうぞう遺跡(名川町平)、縄文時代早期から弥生時代に至る森越野月もりこしのづき遺跡(同町森越)、左岸に縄文時代晩期末葉の剣吉荒町けんよしあらまち遺跡(同町剣吉)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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