沖田面村(読み)おきたおもてむら

日本歴史地名大系 「沖田面村」の解説

沖田面村
おきたおもてむら

[現在地名]南部町沖田面

三戸(現三戸町)の北東、馬淵まべち川左岸の沖積地に位置する。南を馬淵川が蛇行して北東流する。東は玉懸たまかけ村、川を隔てて赤石あかいし村、西は小向こむかい村、南は川を隔てて大向おおむかい村、北は五戸通手倉橋てぐらばし(現五戸町)に接する。戦国時代は三戸南部氏の配下にあり、平良ヶ崎へらがさき館は同氏の居城の一であったといわれる。

雑書の承応二年(一六五三)四月二九日条に「三戸之内沖田面村与惣右衛門、たるたき惣右衛門、同なこ弐人家四軒去廿六日之晩走候」とみえる。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に沖田面村、高四六六・二六三石とあり、七ヵ年平均の免は三ツ一分九毛で、三戸通では高率であった。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」では蔵分二〇二・二石余、給分四八五・九石余。


沖田面村
おきたおもてむら

[現在地名]上小阿仁村沖田面

北流する小阿仁川中流域、東流してこれと交わる友倉ともくら川右岸に位置する。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に沖田表九四〇石とみえる。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)にみえる「弐百五拾三石六升九合 石坂村 (小脱カ)阿二村」もそれに比定される。集落北側の山地に中世後期のウトヒラ館跡および川向うの山地に同期の新館しんたて跡が現存、単郭状平坦面を残す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android