平賀朝雅邸跡(読み)ひらがともまさていあと

日本歴史地名大系 「平賀朝雅邸跡」の解説

平賀朝雅邸跡
ひらがともまさていあと

建仁三年(一二〇三)鎌倉幕府京都守護として上洛した北条時政の女婿平賀朝雅の邸宅跡。

北条時政の後妻牧氏が、鎌倉幕府三代将軍実朝殺害を謀り女婿朝雅を将軍につけようとしたいわゆる牧氏の変で、朝雅は在京の御家人たちに宿所を襲われ殺害された。「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)閏七月二六日条に「六角東洞院宿廬」と記される。この位置は現三文字町付近であるが、詳細は不詳。「明月記」同日条には、「於二条大路逢武士、自御所已向朝雅宅云々、(中略)相逢皆云武蔵(朝雅)已逃去、所壊取其宅也、乍悦馳皈、路頭已無為、即渡門前見之、六角宅寝殿焼之程也」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む