平重衡塚(読み)たいらのしげひらづか

日本歴史地名大系 「平重衡塚」の解説

平重衡塚
たいらのしげひらづか

[現在地名]伏見区醍醐外山街道町

「法界寺北五町許」(山城名勝志)にあり、墓は五輪石塔の残欠を寄集めたものと伝える。

重衡は平清盛の四男、本三位中将と称された。この地について「平家物語」巻一一は、重衡の北の方(大納言佐殿)が身を寄せていた所という。

同書巻一一(重衡被斬)によると、重衡は一ノ谷の合戦で生捕られた後、文治元年(一一八五)六月鎌倉から奈良に送られることとなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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