鎌倉時代初期に行われた東大寺再建の折、佐波郡奥地の杣山から切り出された材木を集めた所。佐波川上流で
この地には木屋所が設けられ、東大寺の任命した山行事職の橘奈良定が、材木を検査して「東大寺」の刻印を押した。木津で検査に合格した材木は、筏に組み浮力を増すために本と末に計四隻の小舟をつけて佐波川を流して海に出した(東大寺造立供養記)。
なお木津で材木に押した刻印は、年号不詳の周防阿弥陀寺文書に「白河法皇御代、勅院宣東大寺鎮守於五社御宝前三ケ国威打、一箇者東大寺安置、一ケ摂津国尼崎安置、一ケ院宣相副周防州佐波郡三谷引谷之木屋所而奈良定屋敷安置」と記され、山行事職の橘奈良定の屋敷に置かれたという伝えである。
鎌倉期にみえる地名。出雲国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都府南部、相楽郡(そうらくぐん)にあった旧町名(木津町(ちょう))。現在は木津川市(きづがわし)の南部を占める一地区。京都盆地の南端に位置し、奈良市に接する。1893年(明治26)町制施行。1951年(昭和26)木津町は相楽(さがなか)村を編入。2007年(平成19)加茂(かも)、山城(やましろ)の2町と合併し、市制施行して木津川市となる。東の笠置(かさぎ)山地北縁を西流してきた木津川が、方向を北にほぼ直角に変える地点にあり、古くは河港があった。藤原京や平城京造営の木材がここに陸揚げされたので、木津の名がおこったという。JRの関西本線、奈良線、片町(かたまち)線、国道24号、163号の分岐点で、京奈和(けいなわ)自動車道木津インターチェンジもあり、交通の要地。また近畿日本鉄道京都線が西部を通過し、古くから京都盆地南部の商業中心地をなしている。近年、地域の西部や西接する精華町、奈良市北部にかけての丘陵地帯に都市基盤整備公団(現、都市再生機構)によって平城・相楽ニュータウン(へいじょうそうらくにゅーたうん)が造成された。また、関西文化学術研究都市も開発され、大きく変貌しつつある。相楽(さがなか)神社の本殿、大智寺の文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像、十一面観音(かんのん)像などが国指定重要文化財となっている。
[織田武雄]
『『木津町史』全4巻(1984~1991・木津町)』
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出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…木屋座とも称した。京都堀川,木津,奈良,鎌倉,堺など主要都市にその成立が確認される。京都堀川は平安末期には諸国から搬入された材木の交易場としてにぎわったが,座の成立を確認できるのは南北朝時代である。…
…初見史料は11世紀はじめに成立した《新猿楽記》の記事であるが,《東大寺文書》の中に残されている1104年(長治1)の料米下行切符が詳しい様子を伝えている。これによると同年6月20日付で〈泉水(木津)車力三両料〉として米9斗と〈泉水車借三人間食料〉として米3升が支払われており,1人あたり米3斗と間食料1升が給されたことが知られる。また,同年8月には車借26人の車力料が,9月には30人の車借料が支払われていたことから,12世紀初頭の泉木津にはかなりの車借が集住していたことがわかる。…
※「木津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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