朝日日本歴史人物事典 「幹山伝七」の解説
幹山伝七
生年:文政4(1821)
幕末明治期の陶工。尾張(愛知県)瀬戸生まれ。加藤孝兵衛の3男。幼名,繁次郎。のち孝兵衛を襲名した。彦根藩の招きにより,安政4(1857)~文久2(1862)年湖東焼で作陶を行う。同年京都東山に移り,慶応年間(1865~68)清水に丸窯を築き,磁器製造を始める。文久3年,幹山松雲亭と号し,明治に入り,幹山伝七を名乗った。明治5(1872)年京都府から「職業出精ノ者」として表彰,同8年,京都府勧業場御用掛に任命される。国内の博覧会をはじめ,パリ,シドニー,アムステルダムの万国博覧会でも幾多の賞を受ける。明治3年ごろから指導を受けたワグナーの影響により,西洋絵具の試用,石炭窯による磁器焼成など京焼に新しい動きをもたらした。
(伊藤嘉章)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報