広峯氏(読み)ひろみねうじ

改訂新版 世界大百科事典 「広峯氏」の意味・わかりやすい解説

広峯氏 (ひろみねうじ)

播磨広峰神社の社家を世襲した豪族。広峯氏系図によると凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)5代の子孫勢連以後,広峯氏を称し,代々広峰社大別当職に補任(ぶにん)された。鎌倉時代の大別当勝賀の嫡女の嫡男とされる左兵衛尉家長は,関東御家人として1256年(康元1)に山陽道小宅~賀古川宿間の輸送警固に従事し,その子長祐も79年(弘安2)父に代わって京都大番役をつとめ,81年に家長から広峰社下司大別当職など所職(しよしき),田畠(でんぱく),所従(しよじゆう)等を譲り渡されている。こうして累代の御家人であった広峯氏は,昌俊(貞長)のとき足利尊氏に従って元弘の乱(1331)に参加し,1336年(延元1・建武3)の湊川の戦で楠木弥四郎を討ち取って直義の感状をうけたという。南北朝期以降は播磨守護赤松氏に属し,53年(正平8・文和2)に赤松則祐に従って播磨の南軍と戦い,1490年(延徳2)純長は赤松政則にその軍忠を賞せられ,また長職は赤松政村の淡路出陣や晴政の和泉堺合戦に活躍した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の広峯氏の言及

【広峰神社】より

…鎌倉時代の広峰社は,牛頭天王垂迹と諸願成就の霊地として国内上下の尊崇を集め,山上,坂本の神領に対して守護使入部停止の特権が認められた。同社の大別当職を世襲した広峯氏は鎌倉御家人となり,国内の有力な武士団として活躍し,1336年(延元1∥建武3)足利尊氏から土山荘地頭職を広峰領として与えられている。一方,鎌倉・室町期を通じて広峰社は祇園社末社であり,祇園社の御祈料所として祇園執行らの支配をうけ,地子・公事物などを上納していた。…

※「広峯氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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