戸田(読み)トダ

デジタル大辞泉 「戸田」の意味・読み・例文・類語

とだ【戸田】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「戸田」姓の人物
戸田旭山とだきょくざん
戸田城聖とだじょうせい
戸田貞三とだていぞう
戸田茂睡とだもすい

とだ【戸田】[地名]

埼玉県南東部の市。荒川北岸にあり、江戸時代には中山なかせん渡船場があった。戸田漕艇場がある。人口12.3万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「戸田」の意味・読み・例文・類語

こ‐でん【戸田】

  1. 〘 名詞 〙 家屋と田地
    1. [初出の実例]「或争百姓戸田、或奪浮浪財物」(出典:類聚三代格‐一九・寛平八年(896)四月二日)

とだ【戸田】

  1. 埼玉県南東部の地名。荒川の左岸にある。江戸時代には中山道の戸田の渡しがあり、また荒川水運の船着場でもあった。第二次世界大戦後、工場の進出と住宅地の開発が著しい。戸田ボートコースがある。昭和四一年(一九六六)市制。

とだ【戸田】

  1. 姓氏の一つ。

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改訂新版 世界大百科事典 「戸田」の意味・わかりやすい解説

戸田[市] (とだ)

埼玉県南東部の市。1966年市制。人口12万3079(2010)。荒川左岸の低地にあり,荒川を隔てて東京都に接する。江戸時代は中山道の戸田の渡しと河岸場のあった所で,今は国道17号線(中山道)の戸田橋と同新大宮バイパスの笹目橋が東京への玄関口にあたり,自動車の通過交通量が多い。1992年には東京外環自動車道が開通,首都高速5号線と連絡する美女木(びじょぎ)ジャンクションも設けられ,一層交通は便利になった。長い間,鉄道が通っていないうえ,標高2~5mの低湿地であるため,東京都心から20km圏に位置するにもかかわらず都市的発展は遅れていたが,1960年代以降,住宅や工場・倉庫群が進出し,県内有数の工業都市となった。85年のJR埼京線の開通によって新宿へ20分で行ける交通至便な街に変身,中高層マンションが増え,郊外住宅都市として発展し,都内への通勤者は県内への通勤者の2倍をこえている。荒川の旧河道を利用して1940年につくられた戸田ボートコース(長さ2400m)は東京オリンピックの会場ともなった理想的な静水コースで,付近一帯は県営戸田公園として整備されている。西部の荒川河川敷には荒川左岸流域下水道終末処理場があり,戸田,浦和,川口,大宮など県南8市の汚水を浄化する。1989年には道満(どうまん)グリーンパーク(現,彩湖・道満グリーンパーク)が,97年には荒川総合調整池(彩湖)もつくられた。
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戸田 (へだ)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「戸田」の意味・わかりやすい解説

戸田
へだ

静岡県田方郡(たがたぐん)にあった旧村名(戸田村(むら))。現在は沼津市南端を占める地域。旧戸田村は2005年(平成17)沼津市に編入。伊豆半島西海岸の北部に位置する。東・南・北の三方達磨(だるま)山系に囲まれ、西は戸田港として駿河(するが)湾に開かれている。天然の良港を擁してマグロ、カツオ遠洋漁業、アジ、サバなどの巻網漁業が盛ん。タカアシガニ漁はよく知られている。ミカン栽培も行われる。観光開発に力を入れ、国民宿舎伊豆戸田荘(2006年閉館)があるほか民宿が多く、御浜岬には海水浴場がある。1854年(安政1)の大地震でロシア使節プチャーチンを乗せて戸田沖で沈没したディアナ号の記念碑(県史跡)がある。プチャーチンは自国軍艦の代艦を戸田港で新造し、これが日本に洋式造船技術をもたらす端緒となった。そのときの記録や技術資料を展示した造船郷土資料博物館がある。古くから陸の孤島で、交通は船に頼っていたが、現在、主要地方道沼津土肥(とい)線、修善寺(しゅぜんじ)戸田線が通じる。

[川崎文昭]



戸田(市)
とだ

埼玉県南東部にある市。1966年(昭和41)市制施行。市の南部は荒川を挟んで東京都と相対する。荒川の沖積低地に位置し、自然堤防と後背湿地とからなる。長い間鉄道は通っていなかったが、1985年(昭和60)JR埼京線が通り、東部を国道17号、西部を新大宮バイパスが通る。1992年(平成4)東京外環自動車道、1998年首都高速埼玉5号線が開通、美女木ジャンクションで接続している。江戸時代、中山道(なかせんどう)の戸田の渡しのあった所。近年、出版、印刷、機械などの工場や倉庫が増加し、また住宅の進出も著しく、人口が急増している。荒川北岸の県営戸田公園内には静水のボートコースがある。1940年(昭和15)に完成したもので、1964年の第18回オリンピック東京大会のボート競技場になった。面積18.19平方キロメートル、人口14万0899(2020)。

[中山正民]

『『戸田市史』全8巻(1981~1987・戸田市)』『『戸田市史年表』(1991・戸田市)』


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日本歴史地名大系 「戸田」の解説

戸田
とだ

「梁塵秘抄」に「広田より戸田へ渡る船もがな、浜のみたけへ言付もせむ」とみえ、広田ひろた神社と西宮の浜との間を船で往来していたことがうかがえる。一条兼良の「桃華蘂葉」に梅津うめづ(現京都市右京区)是心ぜしん院領として戸田庄が記載されている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「戸田」の意味・わかりやすい解説

戸田
へだ

静岡県東部,沼津市南部の旧村域。伊豆半島の北西岸にある。 1889年村制。 2005年沼津市に編入。中心集落の戸田は天然の良港に恵まれ,遠洋漁業,沿岸漁業の基地。背後の山地ではミカンが栽培される。長い間,陸上交通が不便で水上交通に依存してきたが,第2次世界大戦後,修善寺,土肥へのバス道路が新設された。富士山を眺望する風光美と好適な海水浴場,磯釣り場で有名。御浜崎には安政1 (1854) 年に戸田沖で沈没したロシア軍艦『ディアナ』号の記念碑,造船郷土資料博物館などがある。一部は富士箱根伊豆国立公園に属する。

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百科事典マイペディア 「戸田」の意味・わかりやすい解説

戸田[村]【へだ】

静岡県伊豆半島北部,駿河湾に臨む田方(たがた)郡の旧村。中心の戸田港は県有数の遠洋漁業基地。海水浴場で,国民宿舎がある。1854年沈没したプチャーチンの乗艦ディアナ号の代艦を建造した地として知られる。沼津港から定期船,修善寺からバス。2005年4月沼津市へ編入。34.92km2。4131人(2003)。

戸田[市]【とだ】

埼玉県南東部の市。1966年市制。荒川北岸の沖積低地を占める。近世には中山道(国道17号線)の戸田の渡しがあった。第2次大戦後は工場地帯として急速に発展し,人口も急増。1985年開通の埼京線に3駅があり,東京外環自動車道,首都高速道路が通じる。食品,出版,印刷,輸送用機械などの工業が行われる。西方の荒川堤防下には戸田漕艇(そうてい)場がある。18.19km2。12万3079人(2010)。

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