庄内(大分県)(読み)しょうない

日本大百科全書(ニッポニカ) 「庄内(大分県)」の意味・わかりやすい解説

庄内(大分県)
しょうない

大分県中部、大分郡にあった旧町名(庄内町(ちょう))。現在は由布市(ゆふし)の南西部にあたる地域。1954年(昭和29)阿南(あなん)、東庄内、西庄内、南庄内、阿蘇野(あその)の5村が合併して庄内村となり、翌1955年町制施行。2005年(平成17)挾間(はさま)町、湯布院(ゆふいん)町と合併して市制施行、由布市となった。旧町名は中世末期の通称による。標高1000メートル内外の鐘状火山群の城(じょう)ヶ岳、冠(かんむり)山(烏帽子(えぼし)岳)、花牟礼(はなむれ)山などに囲まれ、大分川とその支流、阿蘇野川、小挟間(おばさま)川、芹(せり)川の河谷低地が主部で、河岸段丘が発達し、本流沿いにJR久大(きゅうだい)本線と国道210号が走る。古代阿南郷の一部。近世は府内(ふない)、延岡(のべおか)、肥後(ひご)、岡藩領に分属していた。近世の用水路によって段丘面は水田化され、米、ナシ、肉用牛、ブタ、シイタケが主産物。阿蘇野川の渓仙峡(けいせんきょう)と黒岳原生林が観光地。

[兼子俊一]

『『庄内町二十年の歩み』(1975・庄内町)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例