日本歴史地名大系 「庄厳寺村」の解説 庄厳寺村しようごんじむら 滋賀県:彦根市旧坂田郡地区庄厳寺村[現在地名]彦根市荘厳寺町(しようごんじちよう)仏生寺(ぶつしようじ)村の北西、霊仙(りようぜん)山中に位置し、荘厳寺とも記す。村名はかつて霊山(りようせん)寺七ヵ別院の一、庄厳寺が所在したことにより、同寺は「興福寺官務牒疏」にみえる。元禄八年大洞弁天寄進帳に「庄厳寺村屋敷主畑四郎左衛門」とみえる畑氏は、「佐々木南北諸士帳」によれば佐々木末流でもとは野淵を称したという。同氏は当地小字谷(たに)ノ奥(おく)の山中に館を構えていたとみられ、天文四年(一五三五)と推定される二月二一日の六角定頼書状(島記録)に「多賀・畑・平野館」が今井一族の手により放火されたとある。慶長二年(一五九七)の奥書をもつ不動尊縁起(天津神社蔵)には当地に石滝(しやくろう)寺奥之坊・荘厳院があったとあり、荘厳院は庄厳寺のことと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報