庸軒流(読み)ようけんりゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「庸軒流」の意味・わかりやすい解説

庸軒流
ようけんりゅう

茶道流派の一つ。千宗旦(せんのそうたん)の高弟藤原村軒(1613―99)によって開かれた。庸軒は近江(おうみ)(滋賀県)の久田宗栄(そうえい)の子で、京の呉服商藤村家の養子となる。茶は初め藪内紹智(やぶのうちじょうち)に学び、ついで小堀遠州(えんしゅう)や金森宗和(かなもりそうわ)に学んだ。さらに千宗旦に師事し、利休の台子(だいす)の法を伝授された。漢学的素養が深く茶の湯にも大きな影響を及ぼしている。宗旦四天王の一人に数えられ、点前(てまえ)は師直伝の厳格さを伝え、侘(わ)びに徹する。4代正斎までは直系が継いだが、その急死により、門弟の実力者がそれぞれ正系を唱え分派した。

 近江堅田(かたた)(滋賀県大津市)居初(いぞめ)家に残る天然図画亭(てんねんずえてい)、黒谷金戒光明寺(くろだにこんかいこうみょうじ)内西翁院(京都市)の澱看(よどみ)(淀見)の席は、庸軒好みとして知られる。

[筒井紘一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の庸軒流の言及

【いけばな】より

…享保期から明和・天明期(1764‐89)にかけては,抛入花から生花へと日本のいけばなが変化をとげる過渡期であって,抛入花と立花の優劣論や,寛延年間(1748‐51)の落帽堂暁山のごとく五常の道を説き〈義あつて花を生くればいけはななり〉などの所論を重ねて,草木の出生(しゆつしよう)を明らかにし,それに従って花を生けるこそ本義であるとする,安永・天明期(1772‐89)の是心軒一露の《草木出生伝》の出現までの道をたどる。明和から安永・天明期にかけては生花の諸流派が多数の成立をみた時代で,千家流,松月堂古流,古田流,遠州流,庸軒流,源氏流,但千流,正風流,千家我流,相阿弥流,宏道流,石州流,東山流などの流派が,それぞれの主張にもとづいて生花の教導をはじめた。生花がその花形(かぎよう)を明確に定めるのは文化・文政期(1804‐30)であって,陰陽五行説や地水火風空の五大を説いて花形を形成しようとした松月堂古流からはじまって,やがて天地人三才格による花形の定めが一般化し,円形の天に内接する正方形の地の図形を,さらに半切した三角形(鱗形)を求め,天枝・地枝・人枝の3本の役枝によって花形を定める,当時として最も合理的な未生斎一甫の考え方によって,生花はその花形を完成したものとみてよい。…

【藤村庸軒】より

…千宗旦の門人で,宗旦四天王の一人にあげられる。庸軒流茶道の開祖。通称源兵衛尉,名を政直,のち当直。…

※「庸軒流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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