日本大百科全書(ニッポニカ) 「庸軒流」の意味・わかりやすい解説
庸軒流
ようけんりゅう
茶道流派の一つ。千宗旦(せんのそうたん)の高弟藤原村軒(1613―99)によって開かれた。庸軒は近江(おうみ)(滋賀県)の久田宗栄(そうえい)の子で、京の呉服商藤村家の養子となる。茶は初め藪内紹智(やぶのうちじょうち)に学び、ついで小堀遠州(えんしゅう)や金森宗和(かなもりそうわ)に学んだ。さらに千宗旦に師事し、利休の台子(だいす)の法を伝授された。漢学的素養が深く茶の湯にも大きな影響を及ぼしている。宗旦四天王の一人に数えられ、点前(てまえ)は師直伝の厳格さを伝え、侘(わ)びに徹する。4代正斎までは直系が継いだが、その急死により、門弟の実力者がそれぞれ正系を唱え分派した。
近江堅田(かたた)(滋賀県大津市)居初(いぞめ)家に残る天然図画亭(てんねんずえてい)、黒谷金戒光明寺(くろだにこんかいこうみょうじ)内西翁院(京都市)の澱看(よどみ)(淀見)の席は、庸軒好みとして知られる。
[筒井紘一]