延命村
えんめいむら
[現在地名]徳島市国府町延命
早淵村の南にあり、北西は矢野村、西は名西郡矢野村。南から東へと鮎喰川が流れ、西は丘陵部となっている。久安二年(一一四六)七月一一日の河人成俊等問注申詞記(愚昧記仁安二年冬巻裏文書)にみえる京都法勝寺(現京都市左京区)領「延命院」は当地一帯に比定される。また法勝寺末寺であった延命院は常楽寺の前身と考えられる。寛文四年(一六六四)までは以西郡に属した。天正一七年(一五八九)一〇月の以西郡延命村検地帳(名東郡史)によれば反別一三町八反余・惣分米一六八石余。慶長二年(一五九七)の分限帳では一〇〇石余が田川忠右衛門、六七石余が篠岡半兵衛の各知行分。このうち篠岡分のうち六〇石余・百姓二人は同三年五月二二日に福永左衛門次郎に加増された。寛永二一年(一六四四)の新開検地帳(国府町史資料)では川原屋敷の田畠九反余・分米三石余が打出されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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