日本歴史地名大系 「弁ヶ谷」の解説 弁ヶ谷べんがやつ 神奈川県:鎌倉市乱橋材木座村弁ヶ谷光明(こうみよう)寺の北方、かつて崇寿(すうじゆ)寺や新善光(しんぜんこう)寺などがあった付近の谷。紅(べに)ヶ谷・別(べつ)ヶ谷ともいう。「玉舟和尚鎌倉記」では梅(うめ)ヶ谷・佐々目(ささめ)ヶ谷・扇(おうぎ)ヶ谷・雪下(ゆきのした)ヶ谷・亀(かめ)ヶ谷・花(はな)ヶ谷とともに鎌倉七谷の一つとする。「風土記稿」所引の嘉暦二年(一三二七)の崇寿寺鐘銘に「飯嶼之艮、鎌倉之巽、弁谷霊区」とみえる。享徳元年(一四五二)一一月九日の京極持清書下(県史三)には「鎌倉弁谷高御蔵最宝寺寺領等事」とあり、高御蔵(たかみくら)(倉)が当谷に含まれ、谷間には、現横須賀市野比(のび)に移転した浄土真宗の五明山高御蔵最宝(さいほう)寺があった。なお、現三浦市にある浄土真宗本願寺派の泰平山最福(さいふく)寺も、もと当谷にあって、享禄―天文(一五二八―五五)頃に移転したと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報